令和元年度 第109回秋季品評会~その5~

頑張って入賞魚の画像の編集をしている秋の夜長でございます^^。

昨日からご紹介している順位ですが番付って相撲の番付表に喩えていますよね。
番付表で大関、立行司、関脇、小結とかってなんとなく相撲に使われているからわかるんですが「取締」って何ぞや?@@
ってみなさん不思議に思いません?^^;

大相撲九月場所が開催中ですが「取締」なんていないですよね?
しかし、小兵が大きい関取を倒すのは品評会でも同じですが見ていてワクワクします♪。

で、ですよ、その「取締」

千思万考なんてするハズもないので・・・・
そんな時はググっ!とですよ。

江戸時代の相撲に関する書を拝見!!

昔は奉納相撲と勧進(営業)相撲に分かれていたようです。
貞享元年(1684年)に勧進相撲を開催するために勧進元が奉行所に申請をしたそうです。
その時の条件として
「相撲の中で年功の者を年寄りとして取り締まりさせる。取り締まりがなければ許可しない。(中略)・・興行ごとに定められた勧進元なるものは、興行中に出る相撲だけの取り締まりではありますが、今度は相撲取全体を一つの団体として取り締まりがこれを統括する。・・・相撲を興行とする場合、興行の主催者は勧進元でありますが、相撲の時は自分の手の相撲ばかりではいけない。勧進元に合体するものは皆元方であり方々から寄せ集める寄方の方につきましもそこに集まってきている間は取締の指揮を受けなければいけない・・・」(「相撲の話」三田村鳶魚引用) と記載があるわけです。

取り締まりは監督の位置に立つ、あるいは責任者と言った人だったようです。
だから優等賞ってポジションなわけ?@@

相撲の興行全体と捉えると当然、関取(大関、関脇、小結)以外に行司も必要であれば、興行主である勧進元もいるでしょうし、その興行を仕切る監督、責任者がいたのかもしれないですよね。
金魚の番付表は興行を表してしてそれが役魚の名前となり、勧進元は興行者、取締は監督・責任者だからその人数を表して、勧進元一・二、取締一・二なんて金魚の番付で呼んでいるのかな?。
相撲を取る関取は東・西に分かれ、立行司や行司、取締(責任者)、勧進元(興行者)は相撲を取らない(東も西もない)から各一、二、三であれば意味合いも成り立つし・・・。

な~んて秋の夜長に想いに更けての勝手な想像でございます^^;。
誰かご存じなら教えてくださいませ(*^-^*)。

さてさて、続きまして第109回秋季品評会のオランダ部門のご紹介です。

オランダ 親魚の部
□東大関 佐藤 俊夫(徳島)

□西大関 佐藤 俊夫(徳島)

□立行司 佐條 啓史(徳島)

□取締一 松本 博和(香川)

□取締二 松本 博和(香川)

オランダ親魚の部、優等賞に入賞されたみなさんです。

オランダ 当歳魚の部
□東大関 佐藤 俊夫(徳島)

□西大関 成重 昭一(香川)

□立行司 松田 仁人(徳島)

□取締一 大森 雄太(神奈川)

□取締二 成重 昭一(香川)

オランダ親魚の部、優等賞に入賞されたみなさんです。

京都系らんちゅう 親魚の部
□東大関 網本 雅信(香川)

□西大関 網本 雅信(香川)

□立行司 成重 昭一(香川)

□取締一 松本 博和(香川)

□取締二 網本 雅信(香川)

京都系らんちゅう親魚の部、優等賞に入賞されたみなさんです。

京都系らんちゅう 当歳魚の部
□東大関 樋富 義治(徳島)

□西大関 樋富 義治(徳島)

□立行司 佐條 啓史(徳島)

□取締一 樋富 義治(徳島)

□取締二 網本 雅信(香川)

京都系らんちゅう当歳魚の部、優等賞に入賞されたみなさんです。

オランダ部門、京都系らんちゅう部門に入賞されたみなさんおめでとうございました\(^o^)/

つづく・・・。