徳島愛錦会のいにしえを辿る~昭和~
徳島愛錦会は今年で第71回大会となりました。
第71回・・・。
なぜ第71回なのか歴史について今まであまり気にしたことはありませんでした^^;。
徳島愛錦会のホームページを制作にあたって坂野会長から
「会の歩み」を聞いたとき、ホームページの「会の歩み」に記載しているように
言い伝えでは徳島愛錦会は大正中期くらいに発会し、金魚品評会を開催して
きていたそうです。
ところが太平洋戦争の徳島大空襲で前会長の自宅が焼失し徳島愛錦会の資料
もすべて焼失して何も資料が残っていないので戦後の昭和20年を第1回大会とし
て仕切りなおして現在の第71回大会に至っているとのことでした。
「どこかに戦前の徳島愛錦会の名前が入った資料は残っていないものだろうか?」
ふと、そんな気持ちが過ぎりました。
そこで当時の新聞に記載がないか調べてみることに^^;。
いろいろ聞いていくと徳島県立図書館に古い新聞がスキャンされてデジタル画像で
保管されていることがわかりました。
県立図書館に赴き、手続きをすると過去の新聞のデジタル画像を閲覧することができます。
事務員さんに聞くと現在の徳島新聞は昭和16年以降で昭和15年以前は徳島毎日新聞が
発刊されていたようです。
諸手続を済ませると閲覧ができるコンピュータの前に案内され閲覧方法を説明してくれました。
調べる方法は現在のようにインターネット検索のように「徳島愛錦会」と入力すれば関連する
記事がヒットするのではなく、デジタルで保管されているといっても新聞のスキャン画像
(文字の検索ができない)なので画像をひとつひとつ見ていき記事を探す作業です^^;。
これが昭和15年まで発刊されていた当時の徳島毎日新聞です。
趣味の会だし、新聞に果たして記事なんてあるの????
五分五分?、いや10割載ってないだろうと諦めムードでスタート!!^^;。
その当時品評会は9月や10月に行われていたように聞いていたので
9月、10月の日曜日前後の記事を昭和16年から順に探していきました。
でも当時は戦争の記事ばかりなのです。
昭和16年、15年、14年、13年、12年・・・と年数と時間ばかり過ぎて
まったく載ってない(T_T)。
諦めムード全開で昭和11年へ突入。
しかし・・・・
昭和11年8月31日の新聞
そこには「徳島愛錦会」の文字が!!!
記事の内容は以下です。
「徳島愛錦会主催金魚品評会 本社後援の下に31日戎さん境内にて
徳島愛錦会主催本社後援金魚品評会は8月31日通町事代主神社境内に於て開催、
出品料1尾20銭であると。」
戦前は通町の戎まつりをしているえびす神社で行っていたようで、当時の出品料一尾
20銭だったようです。
そして、翌月の昭和11年9月2日の新聞記事です。
記事の内容は以下です。
※○は漢字が読み取れなかった部分です。
「本社後援・徳島愛錦会主催 錦魚品評会:既報、錦魚品評会は8月31日開催したる結果次の如し
◇蘭鋳当歳魚 優等富田朴の塚宮下梶太郎▲一等大岡須見敬大、福島○町岩佐初太郎、富田朴ノ塚赤松唯義、福島○町岩佐初太郎、富田朴ノ塚赤松唯義、助任○○河野義男、富田朴ノ塚宮下梶太郎、同赤松虎雄、大岡須見敬大、富田朴ノ塚宮下梶太郎、二等同宮下梶太郎、同赤松唯義、同吉岡源太郎、大道住友貞治郎、、富貞治郎、通町大塚病院、通町大塚病院、大道住友貞次郎、富田朴ノ塚吉岡源太郎、香川県村川養魚場▲二等○○本町柿○久一、大岡須見敬大、大道住友貞次郎、○○鷹匠町長井勇、同大工町上地進一▲三等住友貞次郎、住友貞次郎、吉岡源太郎、須見敬大、上地進一
◇蘭鋳親魚 優等富田朴ノ塚吉岡源太郎▲一等同宮下梶太郎、大岡須見敬大
◇和蘭陀親魚 優等 福島本町柿○」
番付もしっかり新聞に掲載されていました。
テンションもあがり昭和を遡って新聞を調べていきますがちょうど品評会が開催されている
時期の新聞が保管されていなかったり、徳島愛錦会に関する記事がなかったりとなかなか
次の記事が見つかりません(>_<)。
次に見つかったのは昭和2年9月5日の記事です。
記事の内容は以下です。
「遊郭稲荷祭と錦魚品評会:来る9月6日は秋田町遊廊正一位稲荷大明神の例祭に相当するを
以て当日余興として徳島県愛錦会主催の下に本年度第3回目の品評会を同廊事務所前に於て
開催することとなり左の審査員は斯道に造詣深き富田町中島栄太郎、新栄町松山、内町中島米太郎
の三氏に確定。景品は同廊事務所より多大な寄贈あり一般愛錦家の出陳歓迎因に受付時間は午前8時
、9時より審査開始すと」
昭和初期に徳島愛錦会が存在し、品評会をしていた資料がみつかりました。
次はいよいよ時代は大正へ遡ります。