徳島愛錦会のいにしえを辿る~大正~

 

徳島愛錦会のいにしえを辿る。

いよいよ発会したと言われる大正時代に入っていきます。

 

昭和初期には9月初旬に品評会を開催していたようなので大正15年も9月の

新聞記事からあたります。

大正15年9月18日の記事に金魚大会開催の案内記事が見つかりました。

大正15年9月18日新聞記事1

大正15年9月18日新聞記事3

記事の内容は以下です。

※○は漢字が読み取れなかった部分です。

「県下錦魚大会19日午前8時より:通町事代主神社境内に於て:

県下の愛錦家は初秋となって○其の絶頂に達したる折柄徳島愛錦会にては19日(日曜日)

午前8時より通町事代主神社境内に於て県下金魚大会を開催し9時より審査に移る由なれば

出品者は遅刻せざるせう一般愛錦家は本夏○水加減に餌にあらゆるベストを尽してつくり上げたる

愛錦を市内では田中(佐古)、眞力(遊郭)と言ったやうな斯界の一人者は勿論県下に亘って

多数名人の逸物が出品させれると云えば初秋となって冴を○て来た真紅○○のやうな名錦が

小鉢に浮ぶ時好錦家の垂涎は止みがたく当日は大盛況を極めるであらう」

 

この当時は田中さんや眞カさんという方が一人者でだったようですね。

品評会終了後の大正15年9月21日の新聞記事にはその番付が掲載されていました。

大正15年9月21日新聞記事1

大正15年9月21日新聞記事2

記事の内容は以下です。

※○は漢字が読み取れなかった部分です。

「盛会を極めた錦魚大会:(既報)19日通町事代主神社に於て愛錦会主催の県下錦魚大会を

午前8時より開催されたるが拠りに拠った逸物ばかり数百匹の出品ありて来場した多数の

好錦家を喜ばせ9時より審査に移り左の○氏の飼育錦が入選した因に同会は10月17日

(祭日)次会を場所未定なるも市内にて大会を開催すべく又10月2,3日頃公園内にて陳列

交換会を催す計画ある由

◇蘭鋳親魚 (番付記載省略)

◇蘭鋳当歳 (番付記載省略)

◇和蘭親魚 (番付記載省略)

◇和蘭当歳 (番付記載省略)」

 

現在もオランダ部門がありますが、この当時から蘭鋳だけでなくオランダ部門も

品評会の部門としてあったようです。

オランダ部門も91年の歴史ですね(*^-^*)。

 

さらに大正時代を遡っていきます。

大正14年10月3日の新聞記事に金魚大会の掲載がありました。

大正14年10月3日新聞記事

記事は内容は以下です。

「本年最終の金魚大会 徳島愛錦会では来る11日通町二丁目戎神社境内にて本年最終の金魚品評会を催す由」

 

続いて大正13年。

10月13日の新聞記事に金魚大会の掲載がありました。

大正13年10月13日新聞記事

記事は内容は以下です。

「錦魚大会 通町戎さんにて 通町事代主神社境内に於て徳島愛錦会主催にて十三日錦魚大会開催申込受付当日午前九時限り」

 

大正12年10月6日の新聞記事にはこんな金魚大会の掲載がありました。

大正12年10月6日新聞記事

記事は内容は以下です。

「錦魚大会 七日蛭子神社境内にて 徳島市佐古九丁目田中栄太郎氏他一百数十名より成れる徳島愛錦会にては来る七日徳島市通町蛭子神社境内に於て錦魚大会を催す由」

 

この記事から当時会員数が百数十名いたようです^^。

いにしえより錦魚に造詣が深い土地柄だったのかもしれませんね(*^-^*)。

ここまでを振り返ると大正14年までは10月に品評会を、大正15年から9月に品評会を変更したように

記録から振り返ることができます。

 

さらに時代を遡ります。

時は大正11年10月9日。

大正11年10月9日新聞記事

記事は内容は以下です。

「国府町の錦魚大会 名東郡国府町松本徳蔵氏は本月9日県下錦魚品評会を自宅に於て開催す可く各地方より出品申込者多く特に徳島愛錦会よりは数十(匹)の出品ある筈、又同会より松本氏の多年の功労に報ゆる為め木杯及び感謝状を贈る由にて当日は秋祭りなれば盛会ならん」

この記事にも徳島愛錦会の名前が記載されていました。

ということは大正11年には徳島愛錦会があり、大正中期に発会したと言い伝えと合致してきます。

 

徳島愛錦会がいつ発会したのか。

あいにく、この記事より前の大正10年から大正5年までの新聞の保存がなく、

また大正5年以前から明治後半まで調べてみましたが記事は見つからず・・・・・でした(>_<)。

 

でもこの記事にはに気になる記載があるんです。

「又同会より松本氏の多年の功労に報ゆる為・・・」

そう、記事にある多年の功労って言葉です。

多年の功労って5年くらいで言うでしょうか???

多年・・・10年を一区切りと仮定すると、

大正11年から10年を遡ると、もしかして徳島愛錦会は大正初期、または明治後期からあった??

のかもと思いを馳せることができそうです。

 

このまま手詰まりとなるのか、果たして愛錦会の歴史は。

 

次回・・・・・

徳島愛錦会の歴史が紐解かれる?????